8月から、X(Twitter)等のSNSの書き方を少し変更。
具体的には、
- 絵文字不使用
- 文章を削る
- 主語(主題)に見えない“自分”を置く
など。
今回はこれら変更点についての解説。
1.絵文字の使用をやめてみる
少々思うところがあり、8月から絵文字の使用を控えている。以前、句読点の使用を一時的にやめるという試みを行っていたこともあり、7月末までは絵文字を多用していた。

現在は、ブログ同様にSNSでも句読点を使用。やはり句読点を使用した方が個人的にも読みやすい。
絵文字は明るいイメージや華やかさを演出することができる。不特定多数の人達に向けての投稿なら、積極的に使って発信した方がいいのだろう。
しかし、情緒というものは常に一定であるわけではない。数日経ってから絵文字を使った自分の投稿を見返した際に、どうしても無理にテンションを上げているように見えてしまい、なんとも言えない違和感があった。
基本的にSNSは過去の投稿内容を編集することができない。一度貼ってしまった絵文字というシールは剥がせないのだ。ならば、「最初から絵文字を使わずに投稿した方がいいのでは?」ということで、絵文字を使用しないことに決めた。
メリットとして、絵文字を使用する際に発生する、「どの絵文字を使うか」を考える時間がなくなり、句読点により文章の一貫性を保つことができる。
そして、最近よく思うのは、ブログもX等のSNSも結局のところ、一番の読者は自分だということだ。
どう見られたいかよりも、何をそこに載せたいか、書き記したいかを考えてみたときに、表現方法がいくらでもある中で、わざわざ無理に絵文字を使う必要もないのでは…?と。
私にとって、SNSはマイクロブログ的な側面が強い。日常のちょっとしたこと、フィギュアの写真など、日ごろからそれらの投稿が多くを占める。
ブログの更新通知を行うこともあるが、基本的にSNSを宣伝や拡散のためのツールとして利用していない。ビジネスではなく完全に趣味だ。
もちろん、リプや引用、いいねなど、コミュニケーションツールとしても利用している。しかし、メインはやはり備忘録的な運用だ。日記に近い形でSNSを運用するのであれば、自分にとっての読みやすさを優先すべきだ。
2.文章をできるだけ削る
これは最近、意識的に取り組んでいることなのだが、文章をできるだけ削るようにしている。つまり削除である。
どうも、私は自分のブログやSNSで長文を書きなぐってしまう傾向がある。あとで読み返しても、長すぎて読みづらい。おそらく他の人達から見てもそうなのだろう。
もう少しコンパクトにまとめられるのでは?ということで、粗削りではあるが、文章を極力削る作業を挟んでいる。
よくXなどで見る、「投稿文なし+画像添付のみ」の投稿。あれが一番洗練された投稿方法にも思える。
Instagram(インスタグラム)も画像メイン+テキストは小さく表示という、シンプルかつ洗練された印象を受けるUIをしているので、それを好む利用者が多いのも納得である。
前述のとおり、私はXをマイクロブログ的な使い方をしているので、そこまで尖らせるつもりもなく、あくまで文章量を削る方向性で落ち着いている。文を削るだけではなく、過去の投稿そのものを削除することもある。
主語に見えない“自分”を置く
これは、どう表現したらいいのか少々迷ったのだが、要は文章の先頭に
(俺は)(私は)(自分は)などの一人称が、主語(主題)にあるつもりで文章を書き出すことだ。
少し話が片道に逸れるが、私はSNSでの一人称について、どれを使用すべきか悩んでいた時期がある。このブログでは“私”を使用しているが、過去にSNSでは色々な一人称を使用しており、過去の投稿を見返しても迷走していた感じが見て取れる。
本来、一人称はTPOによって切り替わるものだ。特に日本語の場合、一人称の種類も多様なので、どれを普段使いすべきか、悩む方々も多いのではないだろうか。
そして、行き着いた結論が、「SNSにおいて一人称を書く必要はないのでは?」である。
ここで話を戻すが、何が言いたいのかというと、一人称を省略しつつ、一人称があるつもりで文章を書きだすということだ。
たとえば、この投稿。
一人称は書いていないが、「(俺は)(私は)最近ミニチュア集めに勤しんでいる」と、一人称があるつもりで書き出しているので、一人称をあとから付け足しても文章的にはあまり違和感を感じないのではないだろうか。
このように文章を書き出すことで、
- 自分の事を語る
- 見えない一人称を文頭に添えることで、自分の発言に責任を持つ意識が生まれる
- 他人の意見やニュースに左右されづらくなる
- 文字数を2文字節約できる
などのメリットがある。無理やり捻り出せば、まだまだあるかもしれない。
SNSを日記のように使う上で、自分の事を語るというのは大事なことだ。むしろそれが基本ではないだろうか。
最近では、他者への攻撃的な投稿、いわゆるレイジベイティングや冷笑系、インプレッションを稼ぐためのクリックベイトなど、怒りや欲求を刺激し、他者を扇動するような投稿が注目を浴びがちだ。とくに、現代のSNS(とくにX)は、インプレッション数を稼ぎ、承認欲求を刺激するビジネスの側面が強い。
数字を追い求めるあまり、それらの投稿に手を出したり、同調する人々をXのおすすめタブで毎日のように見かける。
“SNSを見ている時間は知らない誰かを見ている時間”だ。
よくも知らない、どこかの誰かによる怒り(恐怖や嫉妬)を刺激するような投稿に同調し、右往左往するような投稿を毎日カジュアルに続けていると、過去の投稿がデジタルタトゥーになりかねないので、私は普段、それらの投稿から距離を置くようにしている。
またまた話が逸れてしまったが、文頭に一人称があるていで文章を書き出すことを意識することで、「何を書きたいのか、何を書かなくていいのか」も、自ずとわかってくると思うので、SNSで何を書けばいいのか、どう書き出したらいいのか分からないという方がいたら、参考にしてみてほしい。
Xではプロフィールページや投稿の端にGrokを起動するボタンがある。これにより今では容易に過去の投稿やアカウントの人物像をスクリーニングすることが可能だ。
これからのSNSは、何を書くかよりも、何を書かないかの方が重要なのではないだろうか。
まとめ
以上が、現在SNSを利用する際に意識していることだ。
人間には“表現の自由”というものがある。上記でも少し取り上げたレイジベイティングやクリックベイトなども、もちろん表現の自由に含まれている。必ずしも悪だと言うつもりはない。その反対も。
しかし、人間向き不向きや趣味嗜好というものがある。他人に同調するばかりではなく、己自身が何を表現したいかを今一度考えるきっかけにもなりえるので、SNSの文章の書き方を変えるという些細なことが、案外この先もSNSを続けていく上で、重要だったりするのかもしれない。


